ロシア 財政破綻事例
2011年02月16日
ロシアの財政破綻事例をまとめてみました。
【財政破綻の原因】
1991年のソビエト連邦共和国崩壊による経済の混乱
【財政破綻によって起こったこと】
①ハイパーインフレ
消費者物価のインフレ率推移(対前年比)(外務省ホームページより)
1992年:26.1倍
1993年:9.4倍
1994年:3.2倍
1996年:21.8%
1997年:11.0%
1998年:84.4%
1999年:36.5%
2000年:20.2%
※1995年データ無し
1992年1月の価格自由化の結果としてのハイパーインフレは1995年まで継続。一旦は鎮静化したが、1998年の金融危機後に再び増加。しかし、2000年以降は落着いている。
②デノミ実施
1998年1月通貨単位を1000分の1に切り下げるデノミを行い、1ドル6.2ルーブル(旧6200ルーブル)の上下15%幅を3年間維持することを決定した。
③海外からの支援
1998年7月にIMF、世界銀行、日本政府から総額226億ドルの緊急支援を取り付け、自国通貨ルーブルの防衛を行った。しかし、短期国債の償還期限が次々に訪れ、利払いが税収を上回り、制御不能状態に陥った。資本の流出も続き、国債価格は大幅な下落を続け、1998年8月14日には、利回りは170%にまで暴騰した。株価の暴落も続いた。
④デフォルト宣言
1998年8月17日 ロシア政府と中央銀行が以下の3点を実施
・ルーブルの切り下げ(従来は1ドル6.2ルーブルの上下15%幅だった変動幅を6~9.5ルーブルへ拡大)
・1998年8月19日から1999年12月31日に償還期限が来る短期国債の長期国債への強制乗り換え
・8月17日から90日間の対外債務の支払停止発表(事実上のデフォルト宣言)
⑤預金封鎖
デフォルト宣言後、国内銀行が営業停止となり預金封鎖が行われ、資産はすべて国に没収された。銀行の貸金庫にあった資産もすべて国に没収された。(外資系銀行のモスクワ支店は大丈夫だった)
【株価の状況】
株価は1997年10月のピークから15分の1にまで下落した。
【為替の状況】
ソ連時代の1ドル=1ルーブルから1ドル=24ルーブルへの下落した。
通貨単位がデノミにより1000分の1に切り下げられたため、換算すると通貨の価値は2万4000分の1になった。
【市民の生活】
①治安
急激に治安が悪化し、強盗、窃盗、殺人などの犯罪は1990年代に入り急増した。郊外の一戸建ては危険で住めなかった。アパート形式の住居に住む人が増えた。
②人口
ロシアではソ連崩壊直後の1992年の1億4870万人をピークに減少を始め、相当数の移民があったにもかかわらず減少は続き、2009年現在で1億4190万人となっている。
③死亡率・出生率
ソ連時代は無料であった医療体制も市場経済への移行で混乱し、将来を絶望した年金生活者などの自殺者も増加し、死亡率は急上昇する一方で出生率の低下が起きた。
④健康・平均寿命
ソ連崩壊直後の激しい社会変化に付いて行くことが出来ず、強い心理的なストレスからロシアの国民酒ウォッカをあおり、アルコール中毒や循環器系の病気になる人が増えた。男性の平均寿命は1993年に60歳を割り込み、1994年には57.6歳となった。その後も一時的に60歳代に回復した時期もあったものの、すぐに60歳を割り込み、2006年まで60歳を割り込み続けた。
⑤食料
多くのロシア人はダーチャで野菜などを育て、飢えをしのぐのに役立てた。※ダーチャ:多くの国民が所有している別荘(豪華なものではなく、掘っ立て小屋のようなもの)ソ連時代に国から土地を貸与されたのが始まりであるため、広く普及していた。
【ハイパーインフレ時の通貨・資産】
①自国通貨ルーブル
暴落し、国民は自国通貨を信用しなくなった。
②不動産
インフレに強い不動産といわれていたが、あまり役に立たなかった。食べていくために自宅などの不動産を売る人が多かった。
③金
金もあまり役に立たなかった。ニセモノが大量に出回ったため、金に対する信用度が大きく低下した。
④米ドル
誰もが米ドルを求めた。資産をあらかじめ米ドルに換えていた人は、泣く泣く自宅などを手放した人からドルで不動産を買いまくり、ますます資産を増やしていった。
超富裕層といわれた人々は海外にドルを保有していた。
【関連記事】
財政破綻・国家破産に有効な備え・対策とは?
米ドル現金を入手するお得な両替方法
【参考文献・サイト】
2014年日本国破産 警告編(浅井隆 著)
ウィキペディア(ロシア財政危機)
外務省
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【財政破綻の原因】
1991年のソビエト連邦共和国崩壊による経済の混乱
【財政破綻によって起こったこと】
①ハイパーインフレ
消費者物価のインフレ率推移(対前年比)(外務省ホームページより)
1992年:26.1倍
1993年:9.4倍
1994年:3.2倍
1996年:21.8%
1997年:11.0%
1998年:84.4%
1999年:36.5%
2000年:20.2%
※1995年データ無し
1992年1月の価格自由化の結果としてのハイパーインフレは1995年まで継続。一旦は鎮静化したが、1998年の金融危機後に再び増加。しかし、2000年以降は落着いている。
②デノミ実施
1998年1月通貨単位を1000分の1に切り下げるデノミを行い、1ドル6.2ルーブル(旧6200ルーブル)の上下15%幅を3年間維持することを決定した。
③海外からの支援
1998年7月にIMF、世界銀行、日本政府から総額226億ドルの緊急支援を取り付け、自国通貨ルーブルの防衛を行った。しかし、短期国債の償還期限が次々に訪れ、利払いが税収を上回り、制御不能状態に陥った。資本の流出も続き、国債価格は大幅な下落を続け、1998年8月14日には、利回りは170%にまで暴騰した。株価の暴落も続いた。
④デフォルト宣言
1998年8月17日 ロシア政府と中央銀行が以下の3点を実施
・ルーブルの切り下げ(従来は1ドル6.2ルーブルの上下15%幅だった変動幅を6~9.5ルーブルへ拡大)
・1998年8月19日から1999年12月31日に償還期限が来る短期国債の長期国債への強制乗り換え
・8月17日から90日間の対外債務の支払停止発表(事実上のデフォルト宣言)
⑤預金封鎖
デフォルト宣言後、国内銀行が営業停止となり預金封鎖が行われ、資産はすべて国に没収された。銀行の貸金庫にあった資産もすべて国に没収された。(外資系銀行のモスクワ支店は大丈夫だった)
【株価の状況】
株価は1997年10月のピークから15分の1にまで下落した。
【為替の状況】
ソ連時代の1ドル=1ルーブルから1ドル=24ルーブルへの下落した。
通貨単位がデノミにより1000分の1に切り下げられたため、換算すると通貨の価値は2万4000分の1になった。
【市民の生活】
①治安
急激に治安が悪化し、強盗、窃盗、殺人などの犯罪は1990年代に入り急増した。郊外の一戸建ては危険で住めなかった。アパート形式の住居に住む人が増えた。
②人口
ロシアではソ連崩壊直後の1992年の1億4870万人をピークに減少を始め、相当数の移民があったにもかかわらず減少は続き、2009年現在で1億4190万人となっている。
③死亡率・出生率
ソ連時代は無料であった医療体制も市場経済への移行で混乱し、将来を絶望した年金生活者などの自殺者も増加し、死亡率は急上昇する一方で出生率の低下が起きた。
④健康・平均寿命
ソ連崩壊直後の激しい社会変化に付いて行くことが出来ず、強い心理的なストレスからロシアの国民酒ウォッカをあおり、アルコール中毒や循環器系の病気になる人が増えた。男性の平均寿命は1993年に60歳を割り込み、1994年には57.6歳となった。その後も一時的に60歳代に回復した時期もあったものの、すぐに60歳を割り込み、2006年まで60歳を割り込み続けた。
⑤食料
多くのロシア人はダーチャで野菜などを育て、飢えをしのぐのに役立てた。※ダーチャ:多くの国民が所有している別荘(豪華なものではなく、掘っ立て小屋のようなもの)ソ連時代に国から土地を貸与されたのが始まりであるため、広く普及していた。
【ハイパーインフレ時の通貨・資産】
①自国通貨ルーブル
暴落し、国民は自国通貨を信用しなくなった。
②不動産
インフレに強い不動産といわれていたが、あまり役に立たなかった。食べていくために自宅などの不動産を売る人が多かった。
③金
金もあまり役に立たなかった。ニセモノが大量に出回ったため、金に対する信用度が大きく低下した。
④米ドル
誰もが米ドルを求めた。資産をあらかじめ米ドルに換えていた人は、泣く泣く自宅などを手放した人からドルで不動産を買いまくり、ますます資産を増やしていった。
超富裕層といわれた人々は海外にドルを保有していた。
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【参考文献・サイト】
2014年日本国破産 警告編(浅井隆 著)
ウィキペディア(ロシア財政危機)
外務省
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